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あこうぱんのHPへ。

あこうぱん。は今からおよそ60年前
私の祖父の代に播州製菓株式会社として 産まれました。

当時 赤穂にある3軒のパン屋さんが経営難で苦しみ
このままだとパン屋さんは潰れ、従業員は全員解雇だというのを聞いた
私の祖父が それならば。と3軒のパン屋さんの従業員を全員雇い入れ
この赤穂市加里屋中洲の土地にパン工場を建てたのが 始まりです。

ちなみに 私の祖父はもともと米屋さんを経営しパン業界には全くの素人。

私は3代目ですが、相当勇気があったんだなぁ。

と感心すると共に怖さを覚えます(笑)

そして

私の父が2代目になるのですが かつて父は関東で公務員をしていました。
私の母が祖父の娘でして 栄養士の大学に関東で学んでいる際に父と出会い
母と結婚したい一心でパンとは全く無関係の仕事をしていた父が
あこうぱんに嫁いできたカタチになります(笑)

当時は店舗経営ではなく 卸しのパン屋さんとして
病院や学校給食、工場に卸すパンを作っていました。

3代目の私は自分の通う小学校で私の家族が作る学校給食のパンを食べる。

という面白い体験をさせてもらったのですが
当時の学校給食用のパンはお世辞にも 

おいしい とは言えない配合で作られていて
「お前の家のパン まずい!」

といじめられ、よく泣いて帰ってきたことを思い出します。

パン屋さんの経営は難しく大変で そんな仕事に就かせたくない。

と思う両親の考えから
私は中学から私立の進学校に通うことになり  

家族からは医者になるよう言い聞かされてきましたが
勉強が苦手な私は とりあえず浪人せず入れる国立大学で。

と全く興味のない北海道にある帯広畜産大学に入ったけれど
ほとんど大学にも行かず バイトと部活の毎日。

そうこうしてるうちに6年も大学に行ってた時
とある女の子と巡り合うことになります。

その女の子はパンが大好きだ。という情報を聞きつけ
あわてて 「働かせてください。」と入ったパン屋さんで

パン作りの面白さにハマり 
その女性に食べてもらいたい一心で
これはパン屋さんになるしかない!と心に決め 

神戸の大手パン屋さんに就職し
その後 あこうぱんを継ぐことになるのです。

ちなみに その女性が僕の奥さんなのです。

代々 おもしろい 継ぎ方をしてる このパン屋さん。

普通にあるパン屋さんではありませんが
もしご興味がありましたら 覗いてみてください。。。

 

って ここまでが長いな(笑)